太宰治の女関係が破天荒過ぎたので、時系列で解説する

書評

太宰治の小説は「人間失格」であったり、「斜陽」であったり、暗くて退廃的なのになぜか引き込まれる。
そして、物語には恋愛がしばしば登場するが、ピュアな恋愛というよりも、複雑な恋愛が多い。
それは、太宰治本人が、恋愛経験が豊富だったからであり、女関係が破天荒で、波乱な人生だったからでもある。

太宰治の複雑な女関係と波乱な人生は「人間失格 太宰治と3人の女たち」で映画化もされているくらいだ。

今回は、太宰治の女関係についてがっつり調べたので、時系列で解説していきたい。

太宰治、18歳の時に、地元青森でキャバ嬢、小山初代(21歳)と恋仲になる

太宰治、18歳。

尊敬する芥川龍之介が自殺したことにショックを受けて、地元青森の夜の街に、夜な夜な繰り出し、キャバクラにはまる。

そこで出会ったキャバ嬢、小山初代(当時21歳)と、恋仲に落ちる。
(正確にはキャバ嬢ではなく、芸者。今でいうキャバ嬢のようなもの。)

小山初音

太宰治、21歳で上京して、東京大学入学。半年後に小山初代を東京に呼び寄せ、同棲開始

太宰治、21歳で上京して、東京大学・文学部仏文学科に入学。

半年後に、青森から小山初代を上京させて、同棲開始する。

経緯としては、小山初代が青森の有力者から妾(愛人)にならないかと打診されていたため、太宰に相談。
太宰は、東京に逃げて一緒に暮らすように指示したのである。

太宰治、同棲開始して2か月後に、銀座のバーのホステスである、田部シメ子(18歳)と、鎌倉の海岸で心中

太宰治、21歳。

銀座のバーへ通い詰め、バーのホステス、田部シメ子(18歳)と仲良くなる。

ちなみに、田部シメ子はシメ子目当てに多数の男性客が通い詰めるほどの美貌の持ち主である。

田部シメ子



そして、シメ子と太宰治は、二人で演劇や芝居を見に行くような仲となる。

ある夜、二人は浅草で遊んだ後、帝国ホテルに泊まる。
その翌々日、鎌倉の海岸で二人で心中する。薬物自殺による心中だ。
そして、田部シメ子だけ死んでしまう。

この10日前に、太宰治は、左翼活動に傾倒していたことと、キャバ嬢と結婚しようとしていることを理由に、本家から分家除籍されていた。(勘当されていた。)
この除籍によるショックが主な原因で、心中したと言われている。

これが、青森のキャバ嬢、初代を東京に呼び出して、同棲開始した2か月後の出来事である。

太宰治、22歳。一回目の結婚生活開始

同棲していた小山初代は、
見知らぬ女と心中したことに対して当然激怒した。
しかし、復縁して、事件から3か月後には祝言を上げて結婚生活を開始。
太宰治、22歳の時である。

結婚時点で、太宰は大学生。
大学生で結婚した後、太宰はどうしたかというと、
遊びまくっていた。

そのため、留年して大学を卒業できず、就職試験にも落ちて、27歳の時、首つり自殺しようとする。
しかし、死なずに生き延びる。

また、28歳の時、腹膜炎の手術で鎮痛剤を打たれたことがきっかけで、薬物依存になってしまう。

小説だけは書き続けていたが、芥川賞の受賞は惜しくも逃す。

太宰治、29歳。薬物依存の治療中に、妻に不倫される。激怒して心中からの離婚。

太宰治、29歳。
薬物依存が悪化し、一日50本注射を打つことも。
みかねた妻、初代の働きかけもあり、東京武蔵野病院に強制入院させれられる。

妻の初代は毎日見舞いにいっていたが、精神病棟のため、面会できず。

ちょうど、太宰の義理の弟(太宰の姉の旦那の弟)である、
小舘善四郎という画家が、手首を切って自殺を図り別の病院へ入院していたため、時間つぶしのため、そちらの見舞いに行っていた。

初代と小舘は、太宰が入院中で家にいなかったということもあり、若気の至りで、関係を持ってしまう。
太宰治、浮気されるということである。

ちなみに、太宰治は5歳年下の小舘善四郎を弟のようにかわいがっていて、手紙のやりとりもしていた。

小舘善四郎


初代は墓場まで持っていくつもりで、小舘にも秘密を守るよう、強く注意していた。

しかし、半年後に、小舘が太宰治からの手紙の一節を読み違えて、不貞行為がバレたと早合点し、上京した際に酒の席で太宰治に不貞行為を告白してしまう。

激怒した太宰治は、後日、初代と一緒に心中しようとする。
しかし、失敗。

そこからは別居、ほどなくして正式に離婚した。

太宰治、30歳。2回目の結婚

初代と離婚した太宰治は、昼間から酒を飲む退廃的な生活を送る。

このままではダメになると、師匠の井伏鱒二が石原美知子を見合いで紹介し、太宰治は結婚を即決。
そのまま結婚することに。
この時、太宰治30歳、美智子は3つ下の27歳。

石原美知子

美知子は元々は高校教師をしており、寮の舎監もしていたほどの、しっかり者。
破天荒な太宰を完璧にサポートした。

この2度目の結婚生活は、精神的にも安定し、『女生徒』『富嶽百景』『駆け込み訴へ』『走れメロス』などの優れた短編を発表した。

太宰治の遺書には、「美知様 誰よりもお前を愛していました」と書かれており、
太宰治はこの後も散々浮気をするが、心から愛していたのは、美知子だったというのがわかる。

美智子との間には、3人の子供を設けている。

32歳の時:長男生まれる
35歳の時:長女生まれる
37歳の時:次女生まれる

太宰治、32歳。ファンに手を出す。子供を授かり、認知する。

太田静子、太宰治と出会った当時は28歳。

太宰治の小説を読んでファンになり、太宰治に日記風告白文を送る。今でいうファンレター、あるいはツイッターのDMであろうか。

太宰治、これに対し、「お気が向いたら、どうぞおあそびにいらして下さい」と返事する。

太田静子、友達と本当に遊びに行く。その後、逢瀬を重ねて、恋仲に落ちる。

もちろん、不倫。
太宰治が32歳の時なので、丁度、妻の美知子が長男を出産した頃である。

太田静子

以後、2人の関係は、途中で途切れる期間はあるけども、太宰治が死ぬまで、8年間続く。

途中で妻の美知子に疑惑を向けられ、疑惑を晴らすために太宰が他の男を紹介しようとしたこともあるが、静子は断っている。

太宰治が37歳の時、静子が書いた日記(太宰治の代表作「斜陽」の元となった日記)を貰い受けるため、静子の元を訪問する。
その際、静子は妊娠。

後に出産して、太宰治は子供を認知している。

太宰治、37歳。飲み屋で知り合った美容師に「死ぬ気で恋愛をしてみないか」と口説き、結果、死ぬ。

山崎富栄、太宰治と出会ったのは、27歳の時。

25歳の時に三井物産の社員と結婚するが、新婚10日でマニラへ単身赴任、現地で戦死したため、未亡人となっていた。

太宰治、37歳。飲み屋で富栄と知り合う。

後日、「死ぬ気で恋愛をしてみないか」と富栄を口説く。
富江は妻の美知子を気遣いながらも、「でも、若し恋愛するなら、死ぬ気でしたい」と答えて、愛人関係を開始。太宰治のことを本気で好きになっていった。

山崎富栄

しかし、半年ほどして、大田静子の出産を聞き、富栄は大きな衝撃を受ける。

妻である美知子と自分以外にも、女がいたのかと。

そして、妻である美知子には家と子供、静子にも子供がいるのに、自分には何も無い。

この頃から、富栄は嫉妬の念を抱いており、
さらに、美容師も辞め、太宰治の愛人兼秘書として、太宰治の世話をして、貯金も太宰治のために使い果たしていった。

太宰が好きで好きでしょうがないが、太宰には妻子がいて、別の愛人と認知した子供もいいる。
私には何も無いけど、だからこそ、太宰と一緒に死にたい。
そう考えるようになっていた。

一方の太宰治も、様々な悩みを抱えていた。
愛人問題から崩壊しつつある家庭。長男の知的障害。自身の結核による体調悪化。
文壇関係者との軋轢。酒、睡眠薬の常用。

そして、太宰治38歳の時、玉川上水へ富栄と二人で投身し、二人とも死亡した。

この心中がどういった経緯で行われたのかについては、様々な説があり定かではない。

太宰治は、女性を求めて女性に翻弄された人生

太宰治は、モテた。
そして、女性を求めて、女性に翻弄されて、最後は死んでいった。

太宰治の生き方は、破天荒過ぎて、決して褒められた生き方とは言えない。

しかし、ただ、自分の感情に素直に生きるその姿は、
きっと女性を引き付ける雰囲気や魅力があったのだろう。

そんな太宰の心に触れることができるのが、太宰治の小説達だ。
今宵も太宰の小説を読んで、太宰の息遣いを感じよう。

おわり



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