【アドラー心理学】課題の分離を理解する

アドラー心理学

アドラー心理学勉強中のバナナ夫と申します。

齢30を過ぎて、嫌われる勇気を10年ぶりに再読したところ、

刺さる刺さる

内容が自分にぶっ刺さったわけです。

それ以来、アドラー心理学を学び

実生活に活かしていこうという試みをしてます。

というわけで、今回は「課題の分離」について。

対人関係の悩みを一気に解消する、アドラー心理学の伝家の宝刀である。

嫌われる勇気
著者:岸見 一郎、古賀 史健

アドラー心理学 「課題の分離」とは

課題の分離とは

対人関係において「それは誰の課題なのか?」を明確にし

他者の課題には介入しないし

自分の課題にも介入させない


という考え方だ。


およそ対人関係におけるあらゆるトラブルは、

他者の課題に土足で踏み込むこと

あるいは、自分の課題に土足で踏み込まれること

によって引き起こされる。

課題の分離 例えば

課題の分離を例で考えてみよう。

勉強しない子供に対して、「勉強しなさい」と親が介入する。

勉強しない子供に対して、「勉強しなさい」と親が介入する。

「嫌われる勇気」に出てくる例だ。

実体験として、喧嘩あるいはトラブルの元になる事は明白だ。

これが、課題の分離ができていない状態である。


「勉強する」という課題は誰の課題なのか?

それは、親ではなく子供の課題である。

だから、親は子供の課題に介入してはいけないのである。


勉強できる環境を準備するくらいに留めよう。

彼氏にプレゼントをあげたが、少しも喜んでくれなかったので、不機嫌になり彼氏に文句を言った

彼氏にプレゼントをあげたが、少しも喜んでくれなかったので、不機嫌になり彼氏に文句を言った。

これも課題の分離ができていない例である。

プレゼントをもらって喜ぶかどうかは、彼氏の課題である。

自分の課題ではない。


不機嫌になることで、プレゼントをもらった相手のリアクションに介入しており、

これは、他者の課題に介入していることになる。

自分にできることは、

なぜプレゼントで喜ばなかったのかを聞いて、事情を理解すること。

までである。

他者の課題に介入しても、トラブルになるだけである。

会社での評判を気にして生きる

会社での評判を気にして生きる。

自分に対して周囲の人がどう思うかは、他者の課題である。

なので、自分の評判を気にして生きる事は、

課題の分離ができていない、と言える。


自分は、自分のやれる事に集中すれば良いし、

自分の思う通りに行動すれば良い。

自分の課題に全力で取り組めば良いのだ。

アドラー心理学 課題の分離の先に目指すもの

アドラー心理学の目標は、

1.自立すること
2.社会と調和して暮らすこと


である。

そして、目標を達成するために、次のタスク(対人関係)に取り組むべし、とある。

①仕事のタスク
②交友のタスク
③愛のタスク

そうして社会と調和して暮らそうと
対人関係(タスク)に向き合ったときに、

助けとなる考え方が、「課題の分離」だ。


仕事の上司部下、友達、家族、恋人、夫婦。

いずれにせよ、自分以外の人の考えや行動は、

他者の課題」であり、自分が介入すべきではない。


そして、他者が自分に対してどういった評価を下すのかは、

もちろん、「他者の課題」である。

ここを理解して、対人関係の入り口としてとらえておけば、

人生はぐっと楽になるのである。


例え誰かが自分の事を嫌いになろうが、それは他者の課題であり

自分が介入できるものではないし、介入すべきではない。


だから、本のタイトルは「嫌われる勇気」なのである。


同時に、「承認欲求」も否定する。

他者が承認するかどうか、他者が賞賛するかどうか、

これも他者の課題であり、自分は介入すべきではない。


他者に承認されるかどうかに捕らわれず、

他者に嫌われるかどうかに捕らわれず、

自分の人生を生きる。

主語を自分にして生きる。


それが自由なのだ。


By バナナ夫

嫌われる勇気
著者:岸見 一郎、古賀 史健

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