【アドラー心理学】共同体感覚について考える

アドラー心理学

嫌われる勇気」を10年ぶりに読み衝撃を受け、

以来、アドラー心理学を勉強して日々実生活に取り入れております。

バナナ夫と申します。

今回は、「嫌われる勇気」の中でも理解が難しかった、

「共同体感覚」について。

嫌われる勇気
著者:岸見 一郎、古賀 史健

対人関係のゴールは共同体感覚

幸せに生きるには、どうしたらいいのか。

アドラー心理学では、「共同体感覚」を身に着けることが、

一つの道であるとされている。


では、共同体感覚とは何か。

私は共同体の一部であり、他者に貢献している。

また、他者貢献を通して、私には価値がある

と思えている状態のことである。


そしてそのような所属感は、

生まれながらにして与えられるものではなく

自ら獲得していくものである。



人生のタスクに取り組み、対人関係を構築していく際に、

「課題の分離」を入り口にして最終的には「共同体感覚」を持つ事をゴール

としている。

共同体感覚を持つにはどうすればいいか

なるほど、「共同体感覚」を持てれば、幸せなのかもしれない。

自分にだって身に覚えがある。

自分が大好きなコミュニティーに所属しており、

定期的に集まって皆で遊んだりして

それはそれは楽しいものであった。

でも、一時期のものであって、そんな良い状態がずっと続いているわけでは無い。



では、どうすればアドラー心理学でいうところの共同体感覚を持てるのだろうか。

それは、自己への執着を捨てて、他者貢献することである。

とのことだ。


自己への執着を捨てる??他者貢献??


誰だって自分が一番大事なはず。

でも、そうやって自己へ執着していると、幸福は遠いようだ。

確かに、自分のため、自分が大事、って考えて行動している時よりも

知らない人に道を聞かれて教えてあげて感謝された時の方が

幸福感高かったりする。

他者貢献することで幸せを感じるように我々の身体はプログラミングされているのかもしれない。



「人生の主人公は自分だが、世界の中心は自分ではない。」

「私は世界の一部である。」


こう書くと仰々しい言葉であるが

自己への執着を捨てて、他者貢献して生きる、とはそういうことなのである。


確かに、そもそも世界は自分の思う通りに動いてくれないしね。

承認欲求で生きる人は、自己中心的な人である

さらに、自己への執着について、面白い考え方が「嫌われる勇気」には書かれている。

承認欲求で生きる人は、自己中心的な人である。

である。


どういうことか。

承認欲求とは、他人から認められたい、賞賛されたい、という欲求である。

そして、承認欲求に従って生きるとは、

他人から認められたり、賞賛されたりするために生きている。

つまり、他人から自分がどう思われているか、を気にしている状態である。

ということは、結局、自分のことを考えているのである。


なるほど確かに他者から承認されたいと思っている時点で、

自己への執着があるというのは、ハッとさせられたし、納得である。

そのため、アドラー心理学では、

不自由な生き方だとして承認欲求を否定している。

共同体感覚を理解するのは難しい

結論、共同体感覚を理解して実践するのは、難しい。

あせらずに、自分なりに理解を進めながら、

今この瞬間を生きることで、一歩一歩進んでいきたい。

By バナナ夫

嫌われる勇気
著者:岸見 一郎、古賀 史健

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