【アドラー心理学】全ての悩みは対人関係の悩みである

アドラー心理学

大半の人がアドラー心理学を知ったきっかけは、
嫌われる勇気」を読んだ事だろう。


私もそうである。


嫌われる勇気」は面白い。


青年が哲人の元を訪れて、

二人で議論するという形式で物語が描かれる。


青臭い青年と、言葉巧みにアドラー心理学を語ってくれる哲人。

アドラー心理学という内容自体がもちろん面白いのだが、

この物語形式が、「嫌われる勇気」の非常に良いところである。


しかし、ただ読んだだけでは、身につかないというのが
人間というものである。


アドラー心理学を学び理解を深めて実践するために、
今日も記事に書き起こしていきたい。


今日は「全ての悩みは対人関係である。」について。

嫌われる勇気
著者:岸見 一郎、古賀 史健

全ての悩みは対人関係

全ての悩みは対人関係である。


かつて、嫌われる勇気を一読した際に、最も印象に残った言葉だ。

もしこの宇宙に自分一人しか存在しなかったら、悩みというものは存在しない、という考え方である。

考えてみれば、確かに、全ての悩みは対人関係の悩みである。と言い切ってしまって良いのかもしれない。


例えば、

「スポーツができない」という悩み。

これは、

スポーツができない

他の人より劣っていて悔しい。あるいは、劣っていると思われたり馬鹿にされるのが嫌だ。

他の人との優劣という対人関係の悩み。

ということで、対人関係の悩みと捉えることができる。


「仕事が面白くない」という悩み。

これは、
「仕事が面白くない。」
の要素を考えてみる。

上司に怒られるから面白くない。→対人関係の悩み

他の人の仕事と比べて面白くない→他人との比較なので対人関係の悩み

仕事内容自体が面白いと感じない→対人関係?もし宇宙に自分一人だったら確かに悩んでないかもしれないけど。これは対人関係ではない気もする。


「金が無くて生活できない」

これも割りと実践的な悩みというか、対人関係だけではない気もする。。



とにかく、もし宇宙に自分一人しか存在しないとしたら、
「仕事が面白くない」とか「金が無くて生活できない」とか、悩まないぜ、ってことかな。

劣等感と劣等コンプレックス

そして、対人関係の悩みを考える際に、

「劣等感」「劣等コンプレックス」という概念が出てくる。


「劣等感」とは、自分の今の能力や技能が、目標や理想に対して到達していない、
劣っていると感じることである。


それに対して「劣等コンプレックス」とは、
劣等感を言い訳に、できないことを容認して、努力しないことである。


人間誰しも、もっと良くなりたい、もっと素晴らしくなりたい、という
優越性の追求」という気持ちがある。

それに対して、自分の能力や技能が足りていないと、
劣等感」を感じる。それは健全なことである。


しかし、例えば、
「学歴が無いから仕事できない」
「両親が離婚しているから結婚できない」
「貧乏な家庭に育ったから金持ちになれない」
などは、全て劣等感をやらない言い訳にしており、「劣等コンプレックス」に該当する。


「劣等感」は持ってていいけど、
「劣等コンプレックス」は自分の人生からなくしていきましょう、という話。

安直な優越性の追求/普通であること

安直な優越性の追求」とは。


特別でありたいという気持ちが強い人が、

まっとうなやり方で特別な結果が出せなかった際に、

簡単で安直な手段で特別であろうとすることである。


例えば、学業やスポーツで特別優れた成績を出せないので、

見た目を派手にして、遅刻や素行不良で目立つ、といった行為である。


これ、自分も思い当たることが多々ある。


「普通であること」の勇気を持ちましょう、という話。


今日はここまで。
アドラー心理学、まだまだこれから理解を深めて、実践していくぜ。

By バナナ夫

嫌われる勇気
著者:岸見 一郎、古賀 史健





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